札幌地方裁判所 事件番号不詳 判決
右の者等に対する暴力行為等処罰に関する法律違反監禁被告事件に付当裁判所は検事田村誠一関与審理を遂げて左の如く判決する。
主文
被告人等は孰れも無罪
理由
本件予審終結に依つて公判に付せられた事実は
室蘭市輪西町の日本製鉄株式会社輪西製鉄所の傭工員で組織した輪西製鉄労働組合では昭和二十一年二月二十七日会社に対し賃金三倍値上外九項目の要求を提出したが、会社側では賃金値上等給与関係の五項目は本社と接衝の要ありと回答を留保、組合側は共産党の指導下に在つた北海道労働組合連盟に加入し、其の指導応援を得て争議に入つた。組合では役員の改選を行い、其の際被告人井上は鬪争委員長、同吉岡、東条、渡部、外崎、白岩は鬪争委員となつたもの、同浅倉は共産党室蘭地区委員で連盟から派遣された大堀正四と共に争議を応援したものであるが、同製鉄所長水谷浩は数次に亘る強硬な交渉にも拘らず要求を容認する模様がなく、本社と打合せの為上京した総務部長佐山励一の帰りを待つて同年三月二十日回答することになつた。
被告人井上等は予てから目的貫徹の為組合員大衆の面前で回答させようと考え、会社側と打合せず一般組合員に三月二十日午前十時から構内靑年学校講堂で交渉するから集合せよと通知した。
水谷所長は大衆の面前で二時間余に亘り交渉させられ「身命を睹して要求貫徹に努力する」旨の念書を書かされたことがあつたので、会社本事務所二階会議室に於て双方の代表者間で交渉することを希望し、三月十九日組合側に其の旨申込み事情を知らない組合長の被告人吉岡等は之を承諾したのであるが、翌二十日朝被告人等は回答の場所を右講堂に変更することに協議決定した上、同日午前十時前頃約二十名で本事務所へ行き、水谷、佐山等に会場の変更を申入れたが拒絶せられて一旦会議室に入つた。
間もなく会社側が会議室へ出席し、回答資料を配布するや否や被告人等は水谷、佐山等の前へ行き、交々講堂に行こうと要求し、次いで多数の組合員が押入り、右両名を包囲して、机を取除け腕を引き身体を押し等して、行かないと拒絶し極力抵抗する二人を椅子から立たせ講堂に連行しようと階下玄関迄約十七間包囲した儘押出して拉致し、両名が休息させて呉れと申出たところ、被告人井上等は組合員が承知しないから講堂に行くことを約束しなければ駄目だと言い、以て被告人等は多衆の威力を示して暴行脅迫し、少憩後トラツクに乘車せしめて講堂に連行した。之に先立ち約二千名を收容する右講堂壇上に向つて右側を鬪争委員席左側を会社側席とし、生徒用机を並べ、マイクロホンを備付けて座席を造り、被告人井上は所定席の中央に、其の左右後方には被告人等及び鬪争委員、会社側も同様水谷所長を中央にして其の左右後方に佐山総務部長並各部長関係課長等十名夫々着席し、場外に溢れた程多数参集した組合員を前にして回答させることになつた。
其の際被告人等は先ず壇上で血判状を作成し決死の覚悟で要求の貫徹を期する旨宣言し、次いで一項目毎に回答せしめて之を討議したのであるが、水谷、佐山等は要求事項は所長の権限外であり、且又会社の経理上からも本社に於て認めた以上に容認することは出来ないと全面的な容認を拒絶したけれども、鬪争委員長として議事進行其の他一切を指揮する立場に在つた被告人井上及び外崎等は参集した組合員に対し「吾々は要求が貫徹する迄は何日でも頑張るのだ、諸君も頑張れ」と煽動し爾余の被告人等は大衆と共に之に呼応して賛同し、其の間要求を容れないのは会社幹部が物資を豊富に持つて居るからだと其の社宅へ隱匿物資の調査摘発に出掛け、或いは列席の一部長を戦争犯罪人だと称して、壇上正面に連出し組合員大衆に陳謝せしめ、組合側に不利益な発言はマイクを取上げて之を遮り、要求に対する即答を求め、拒絶すれば被告人井上など所長の面前に飛出し「所長は身命を賭するというたではないか、所長腹を切れ」といやがらせを言い、或は机を叩いて怒鳴り付け、水谷、佐山等が之以上交渉しても無駄である疲労したから交渉を打切りたいと申出で帰り掛けると被告人等は其の前に立塞がり、此の壇上から一歩でも降りれば生命を保証しない、解決する迄帰つてはならぬと申向け、組合員大衆も亦之に呼応して帰すな帰さぬ等呼号して之を阻止し、用便に立つた際も逃亡を防ぐ為監視し、要求に対し組合側の満足する回答をする迄帰さないで前述の様な状況下に交渉を継続するという気勢を示して執拗に要求の即時容認方を迫り、水谷、佐山両名を同日午前十一時過ぎから翌二十一日午後一時頃迄殆んど休憩せず睡眠も与えず、食事も二十一日朝握飯一個を与えただけで、約二十六時間に亘り継続して右壇上に留置き、以て組合員大衆の威力を示して脅迫し不法に両名を監禁したものである。
と謂うに在るところ、本件証拠に依つて認められる事実は、被告人浅倉正志を除く井上、吉岡、渡部、東条、外崎、白岩の各被告人は北海道室蘭市輪西町の日本製鉄株式会社輪西製鉄所の作業員で輪西製鉄労働組合の組合員であるが同労働組合は昭和二十年十二月一日右会社に対し
(一)会社運営方針の明示、(二)八時間制の実施、最低月收三百円、(三)物資の適正配給、(四)幹部の民主的反省と適正配置(五)炭鉱挺身隊に関する件
を要求し、更に昭和二十一年二月二十七日には
(一)団体交渉権の認定、(二)賃金三倍に値上げ(七百三十二円)、(三)退職手当金増額、(四)三交替の急速実施、(五)公傷者本番賃金支給(諸手当を含む)、公私傷病者及び未復員に対し臨時物価手当支給、(六)公休を週休有給制(祭日を含む)とし、代休承認及び年間十日間の慰労休暇及び女子工員の生理休暇月三日間、産前産後休暇並に女子厚生施設の完備、(七)家庭菜園の拡張、(八)白樺発行権の讓渡、(九)通勤費の会社負担、(十)燃料コークス冬期分増配及び運搬費会社負担
の十項目に亘る第二次要求を提出し、其の間労働組合会社間の折衝、会社側より右の要求に対する回答の形式によらない職制を通じての第一、二次の給与改善策(第一次は二百六十六円三十三銭、第二次は三百四十二円四十九銭)の発表、右労組員の其の労組役員に対する不満の声に基く昭和二十二年三月上旬に於ける其の役員の改選があつた。
同月九日右労働組合では北海道労働組合連盟に加入決定し、翌日同連盟に争議の応援を依賴し、同連盟より書記長一ノ関、大堀正四が来援し、共産党室蘭地区委員である被告人浅倉も之に加つた。
同三月十三日右争議の目的貫徹のため、右労粗の鬪争委員会の委員の選任があつて、右労組々合長であつた被告人吉岡、其の書記長であつた被告人東条、其の調査部長であつた被告人渡〓、被告人井上、同外崎、同白岩は何れも其の委員に選ばれ、翌十四日被告人井上は其の委員長に推挙せられた。
三月十二日には右製鉄所構内靑年学校講堂で右労組々合員の大会があり、其のデモンストレイシヨンの一隊(其の指揮者は被告人外崎)は右製鉄所本事務所前で同製鉄所々長水谷浩に要求して、身命を賭して前示労組の要求貫徹に努力する旨の念書を書かせた。
右三月に入つてからは右労組の各支部大会、各社宅地区大会があつて要求貫徹を期し、右労組員の間に於いては労組側と会社側との交渉は労組員大衆の面前で行われることの希望が多かつた。
鬪争委員であつた被告人井上等も右の意図を持ち、前示第二次要求中未回答の(二)賃金値上、(三)退職手当金増額、(五)公傷者本番賃金支給、公私傷者及び未復員者に対し臨時物価手当支給、(六)公休日を週休有休制とし代休承認及び年間十日間の慰労休暇及び女子工員の生理休暇月三日間、産前産後休暇並びに女子厚生施設の完備、(九)通勤費の会社負担の五項目に付いての回答日昭和二十一年三月二十日の会社側と労組側との交渉は前示日鉄構内靑年学校講堂で右組合大衆の前で行わんとしていたところ、同三月十九日正午頃同会社の労務課長土屋〓と労働組合長の被告人吉岡との間に其の交渉は三月二十日午前十時から同製鉄所の本事務所の会議室にて行われることの話合があつたので、鬪争委員長被告人井上は同日午後右土屋に之れが取消を申込み、二十日の交渉は前示靑年学校講堂で行つて貰い度いと要求したが、会社側は本事務所の会議室を主張して妥協成立せずして三月二十日の朝を迎えた。
三月二十日朝、同日の労組と会社との交渉は前示靑年学校講堂で公開して行われると知らされていた労組員達は続々と同講堂に集り、労組事務所で当日の交渉は前示講堂で行わるべきことを再確認した被告人井上等の鬪争委員達及び被告人浅倉、大堀等は前示本事務所に赴き、水谷所長に当日の交渉は前示講堂で行わるべきことを要求しようとしたが同所長室には錠が掛りいて同人に面会することが出来ず、総務部長佐山励一の室で同人及び労務課長土屋〓に会場変更を要求したが容れられなかつた。
同三月二十日午前十時頃右本事務所二階会議室に被告人浅倉及び其の余の被告人等の鬪争委員達が待つうち、水谷所長、佐山総務部長以下各部課長が入室着席し、会社側より各人に印刷物を配布し発言せんとするや、被告人井上等の鬪争委員は会社側席に近附き、前示靑年学校講堂で公開交渉をやつて貰いたいと交々情理を尽して要求したが、所長は前示三月十二日の出来事を例に上げ、大衆の前では冷静を欠くからとて容易に応ぜなかつた。
斯るうち前示靑年学校講堂から来た百名以上の労働組合員達は鬪争委員中其の入室を阻止する者もあつたに拘らず、同会議室内に侵入し、所長部長に靑年学校に行くことを求めて、同人等を囲み、大衆の力は其の場を動くまいとする同人等を室外に揉み出し階下入口近く迄押し出し、被告人等の鬪争委員と雖も、暴行を警戒する以外、水谷所長、佐山部長が右講堂に行くことを承諾するのでなければ、此の情勢を阻止することが出来なかつた。
右の如く大衆に揉まれた水谷所長、佐山部長は右本事務所入口附近で、講堂に行くから十分位休ませて呉れと申し出たので、被告人井上は其のことを大衆に知らせて、所長部長は其の自室に帰ることが出来た。
斯くて自室に十分位休憩本事務所入口に出て来た水谷所長、佐山部長及び香春技師長其の他の会社幹部は被告人井上等の鬪争委員其の他の者と共にトラツクに乘り前示日鉄構内の二千数百名入つていた靑年学校講堂に至り、正面壇上に被告人等鬪争委員達と向い合つて着席し、被告人浅倉、前示大堀正四も其の壇上に在つて鬪争委員達を指導した。其の交渉は同三月二十日午前十一時開会、被告人井上鬪争委員長の「吾々の要求は正しいものである、此の要求を貫徹する迄は何日でも戦う」との趣旨の挨拶、被告人吉岡組合長の「諸君が血の叫びを以つて要求している問題を此の席で諸君の前で交渉に当る、権利を主張すると同時に義務の履行を怠つてはならない、吾々は飽く迄正々堂々たる態度を以つて交渉しなければならぬ、諸君も軽挙妄動せず毅然たる態度で此の交渉に協力せられんことを望む」との挨拶大堀正四の「労働者の地位改善のため吾々は今後大いに鬪争しなければならぬ、連盟は諸君の味方である」との激励演説があつて後、鬪争委員の被告人等及び浅倉、大堀は決死の覚悟で要求貫徹を期する旨の血判状に各自血判して、これを組合員大衆に示した。
ついで会社側より、主として水谷所長、佐山総務部長が前示五項目に対する回答をなし、之に対し被告人井上等の鬪争委員が質問をなす方法により、双方とも予期せなかつた長時間に及び、翌二十一日午後一時過ぎ迄各項目毎に交渉が行われた。
此の交渉の間労働組合、会社側とも其の交渉委員は数回十分乃至二十分宛右壇上の其の席で休憩したのみで睡眠を摂らず、食事も二十一日朝八時頃迄なさず、其の間水谷所長、佐山総務部長等は三回「これ以上交渉しても無駄だから帰る」とか「疲れて腹がへつたから帰る」とか言つて立ちかけた際、被告人井上等の鬪争委員は帰つてはならぬと交渉継続を求め、大衆中からも帰すなと叫ぶ者もあり、其の或時には其の委員中「此の壇上より降りれば生命の保障は出来ない」と言う者もあり、被告人井上は水谷所長に「身命を賭して要求を貫徹すると言つたではないか、腹を切れ自分も切る」と言つたが、これ等の言葉は熱望の迸りであつて、真意ではなし、佐山部長にも左様に感ぜられ、別に急迫した何か暴行沙汰でも起りそうな脅怖心を与える様な其の場の空気ではなく鬪争委員達の水谷所長、佐山部長に対する態度に於いても常軌を逸したものではなかつた。
かくて帰ろうとした所長部長等も其の度毎に意を飜して腰を落付け二十一日午後一時過ぎ頃迄熱心な交渉を続け、前示五項の各項目毎に交渉が纒る度に、暫定協約覚書が作成せられ、労組側の要求により水谷所長等会社側の四名は「本社に出頭して要求貫徹に死力を尽す」との連判状を差入れ、茲に三月二十日午前十一時から翌二十一日午後一時過ぎ迄に亘る交渉は終末を告げたのであつた。
右交渉の間、労組側の要求特に賃上の件は生活権擁護のため、切実なものであつた為、多少強い言葉や稍々粗暴な行動が出で、派生的な事件として石橋工務部長が戦時中工員を殴つたことについて戦争犯罪人だとて謝罪せしめられ、会社側幹部がこれで食えると言うなら同人等が物資を持つているからだとて隠匿物資の調査に出掛ける者もあつた。
右会場に於ては会社側の者に対して大衆中より「馬鹿おやぢ」「狸おやぢ」との言葉が飛んだ位にて、大した悪口雑言人身攻撃もなく、水谷所長等の用便に立つた際に監視が付いた事もなく、佐山総務部長の証言するが如く右会場には険悪なとか憎み合うとかの雰囲気はなかつた。
当裁判所の認定した事実は右の如くであつて、其の間被告人等には水谷所長、佐山部長を本事務所から靑年学校講堂に暴行脅迫を以つて不法に拉致する犯意も、同講堂に於ても同人等を監禁し或は脅迫する犯意があつたとは認めるに足る証拠なく、被告人等の行為は批難の余地がないではないが、労働組合法第一条第二項の労働組合の団体交渉其の他の行為にして正当なものの範囲を超えないものと認むべきで、犯罪を以つて論ずることは出来ない。
結局被告人全員に対し刑事訴訟法第三百六十二条に依つて無罪の言渡をする。
(裁判長判事 塩田宇三郞 判事 布施彌助 判事 安倍正三)